映画日記「クラッシュ」 人生の救いよりも皮肉を感じる

 今年の米国アカデミー賞作品賞を受賞したおかげで、いまだにミニシアター系で上映されている。アカデミー賞作品賞受賞という肩書きがなかったら、なかなか日本では上映されないタイプの映画かもしれない。「チョコレート」や「モンスター」なんかも同じだ。
 「ホテル・ルワンダ」なんか映画好きがミキシーから声を上げ、さらにネット上で日本上映運動を行ったから、公開にこぎつけたのだけど。
 「クラッシュ」は米国ロスアンジェルスが舞台。人種の坩堝ではなくサラダボールの米国では、さまざまな人種が被害妄想を抱きながら生きている。そこに頼れるのは銃しかないのか。銃よりも強いであろうはずの《言葉》さえ、吐き出す人がぎすぎすしていて、何かというと襲われるんじゃないか、差別されるんじゃないか、不利益を与えられるんじゃないかという気持ちでいたら、言葉は相手を包み込むものではなく、攻撃するものでしかならなくなる。
 ドン・チードルが一人語ちているシーンから始まる。それから、さまざまな人が出てきて、怒鳴り散らし、悪態をつき、相手を暴力的に威圧しようとするか、そういう社会での処世術を学び、卑屈になる心を抱えている。
 公平であろうとする人、自分の与えられた役割を全うしようと懸命にもがく人たちの状況は悪化し、悪態をつきまくっている人たちには神のささやかな祝福が訪れる。
 人生は皮肉に満ちているということなのか・・・善人は救われ、悪は滅びるわけでない現実社会を映し出し・・・救われなさを感じちゃった
 私が一番感じたのは、こんな国住みたくねぇってことだった。

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